高専シンポジウム 20 回までの軌跡
高専シンポジウム創設者 鳥井昭美
(久留米高専名誉教授)
はじめに
昭和37 年に創設された高等専門学校(高専)が,今や50 周年を迎えようとしている。その間,高専は幾多の困難な道のりを乗り越えてきた。つまり,高専とは如何なる高等教育機関なのか,それは単に高等学校3 年間に短期大学の2 年間を加えての5 年間の教育機関ではないのか。
色々な批判を受けたが,開校した当初の入学の競争率は二十数倍で難関中の難関だった。
しかし,短大や大学からは余り快く思われて居なかった。簡単に言えば「短大の領分を奪う」と言う事。中学から優秀な生徒が高専を受験するので,地域の進学校と称する高校からは「まだ,年齢も若い中学生の段階で将来を決めてしまうのはひどすぎる」等々の危機感が主だった。
ところで,入学して来る学生は確かに素晴らしかった。現在では想像も出来ないが当初は大学編入学・専攻科入学等の道は無く,卒業生の就職に際しても企業の理解度は低く,社会的にも認められず,高等教育機関として認知されるために当時の教職員の努力は筆舌に尽くせぬ感があった。しかし,其の評価を高めてくれたのは中学卒業後5 年間高専で学び研鑽を積んで,巣立っていった卒業生のたゆまぬ努力によるものであり,その結果,教育界や産業界を含めて各界から注目され地域にも高評価を得る事となった。
一方,現在はその卒業生から今の高専の先生は余りにも多くの雑務の中に置かれ,高専独自の個性的な研究や教育の方向性を見失って居る様に思えるとの指摘を受けた。
独立法人化した個々の大学は独自のビジョンを持ち,教育や研究に対応している。しかし,高専の場合,高専機構が全ての高専を統治し管理している。その結果,かつての独創的で個性的に地域に密着して居た高専の面影が薄れ,画一化され高専独自の魅力が失われつつあるとの見解である。この意見は高専が50 周年の歴史を刻んできた中での,卒業生諸君の感想の一つでも有る事から,我々も真摯に受け止めねばならない。その様な状況の中で,高専の教員と学生達が独創的なアイディアで築いてきたものがある。それは学生と教員の研究・教育の交流並びに親睦の場として生まれた「九州沖縄地区高専フォーラム」と「高専シンポジウム」である。
現在,「九州沖縄地区高専フォーラム」は24 回目が今年度有明高専で開催される事になっている。まさに“継続は宝なり”である。更に,「九州沖縄地区高専フォーラム」から全国的な規模に発展した「高専シンポジウム」は大震災で被害に遭った仙台高専で18 回目が開催され,19 回目を「高専シンポジウム」発祥の地である久留米高専で3 度目の「高専シンポジウム」を開催し,本年度の記念すべき第20 回高専シンポジウムが函館高専で開催されるに到った。何れも,回を重ねる毎に,高専の学生・教員の研究発表の場としてだけではなく,高専を理解してもらうためのアイディアを出し合い検討し,地域との連携を色々な形で計画し,その活性化に充分応えられる様になって来た。さらに,地域の高等教育機関,初等中等教育機関,企業,行政との関わりも,回を追う毎に充実し,特質すべきは,市民の参加により,市民レベルで高専の立ち位置を理解してくれている事である。高専フォーラム・高専シンポジウム共に当初から国・地方からの金銭的な援助は受けず,原則,高専の教職員・学生達の,所謂,手弁当によって開催をしてきた。
近年,開催の意義が認められ,企業や地方自治体の理解により,会場の無償提供等の多くの協力が得られるに至ったのは,高専の熱意ある教職員の努力の賜物である。
(冒頭抜粋)